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ラーメンズ、観てきました。
生で観るの初めて。奇跡の東京楽日3列目。
笑った笑った。
感動すらしてしまった。
そして、彼らの才能が怖くなった。
個人的に、あの、最後の「お話」がとてもとても好きなものだったので
それを題材にしていることにも、感動してしまった。
おなかいっぱいです。しあわせです。
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追伸。
ラーメンズでひっかかるブログを巡回していたら、
やはり、東京公演終了後の賢太郎ヴォイスについてのコメント多く。
「楽日のアンコールでなにかあったようだ」ってウワサで、
おいらはその、楽日に居合わせたわけだけど。
空気読めない客がいたのですよ。
っていうか、読む読まないではなく、目立ちたかったのね、きっと。
目立って、彼ら二人に「あたしはここにいますよっ!」て、知ってもらいたかったのね。
おいらもそんなお年頃を過ぎて現在に至るわけなので、
彼女の気持ちはわかるのよ。
大好きな人々に、「自分はここにいます」って、知って欲しい気持ち。知らせたい気持ち。
すごくわかるのよ。
でもね、うるさいの。
うるさかったの。
迷惑だったの。
せっかく舞台の、客席の、昂揚してた空気が壊されちゃって、
少なくとも、おいらは「うわっ、メーワク!」って、思った。
その迷惑な声は、2回あって、
一回目には、賢太郎氏が「うるさーいっ!」って返して。
→客席はそれに拍手だったし、ネタともとれたんだけど、
賢太郎氏は本気で言ってたのかもしれない。
2回目の声も、開場に響き渡ったけど、
賢太郎氏も無視。
客席は「またかよ…」って感じで、苦笑い。
ご本人は、ご満悦だったんじゃないかな。
でもね、めちゃくちゃ迷惑だったよ、貴女。
(でもきっと、今でも気づいてないんだろうね…)
彼らを大好きな大好きな気持ちはすごくすごくよくわかるけど、
あの迷惑な声が本当に彼らの気分を損ねていて
賢太郎氏がヴォイスで語るまでに至ってしまっていたのなら
とても悲しい。
ちなみに「楽日だというのに非常に落ち着いている」というような主旨の発言は
そのアンコール時にも言っていました。
でも、その後何回か戻ってきてくれたときには
「…とか言いながらも僕は、このカーテンコールの拍手でこみ上げるものがあるんです」
とか、
「やっぱり僕は、コントが好きだなぁと思います」
というような発言もあったんですよ。
それを聞いた客席は、やっぱりこちらも笑顔になって、自然と拍手してしまったのです。
札幌公演のアンコールでは
「今日のお客さん、大好きです」って発言もあったらしく、
それって、東京楽日のお客はひどかったけど…って枕詞が隠れているんじゃ…
と、あたしは思春期の乙女のようにこっそりショックを受けてしまったのも事実だけどね。
ラーメンズはあまりネットでライブについて載せられるのがお好きではないと知っていながら
こんなこと書いてしまっていいのでしょうかね。
しばらくしたら消します。
たぶん、ライブ終了後しばらくはこの話題?で探してる人多いと思うので。
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と、イマジン風に呼びかけてみる。<タイトル
とにかく、想像してみてくださいよ。
5年前でも7年前でも10年前でも、あなたが好きだった人のことを思い出してください。といっても、できれば当時付き合っていた恋人とかじゃないほうがいい。どちらかというと、手の届かない憧れの人…大好きだったアイドルとか、ミュージシャンとか、そういう人のことを。恋焦がれた、その人のことを。
そしてあなたは日常のあれこれや現実のあれこれに追われ、その人からなんとなく離れてしまったり、忘れてしまったりしました。嫌いになったわけじゃなく。
そしてその人のことをほとんど思い出さずに生活しています。そうですよね?
しかし、あなたは突然、その人に出会います。もちろん初対面ですが、感覚的には「再会」に近い出会いです。あの頃あれだけ恋焦がれた、手の届かなかったあの人が、突然目の前に存在しています。手を伸ばせば触れられます。声を掛ければ会話が始まります。そんな近さです。
どうしますか。
私は、どうもしませんでした。どうもできませんでした。なんだか、現実じゃないようで。ぼんやりと、「あぁ、あの人がここにいる。本当にここにいる。」と、心の中で自分に向かって確かめることしかできませんでした。
「私、ファンだったんです」とか、言えればよかったのに。野暮だろうとなんだろうと、本当のことだから言っとけばよかったのに。照れたり遠慮したりせず、素直に言えればよかったのに。
緊張してたのももちろんあったけれど、なんだか今更、「ファンでした」なんて言うの、恥ずかしいと思ってしまったんだ。急に言われたほうも困るだろう…なんて思って、知らないふりしちゃったんだ、「あなたのこと私、特に知らないんです」っていうフリをしちゃったんだ。それでそつなく、「お疲れ様でーす」とか、言っちゃったんだ。
…馬鹿!あたしの馬鹿!!
「すごく好きでした!」
「お会いできて嬉しいです!」
「いつかご一緒させていただけるように、がんばります!」
とか、野暮でもかっこ悪くてもいいから、言っとけよ私!
悔やんでも悔やみきれない。
もう、あんなに近い距離では会えないかもしれないのに。
保村大和さん、今度またあんなふうにお会いできたら、その時は必ず、言います。
すごく好きでしたと。
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今月初めから続いていたダウナーな気分もどうにか晴れた…と思ったらもう今月そして今年が終わりそう。
今日は仕事が休みだったので、掃除をしました。
掃除というか、整理整頓というか。
今年はシュレッダーを買ったので、今まで処分できなかったあんなものやこんなものをどんどんシュレっていきました。
あんなものや、こんなもの。
高校時代にレポート用紙にしたためた、当時の想い人への手紙、というか独白。
出そうと思って出せなかった手紙なのか、出した手紙の下書きだったのか、もうおぼえていないくらいの古い日付。
久しぶりに読み返してみて、こっぱずかしくなったのと同時に、当時自分がどれだけ真剣にどれだけ純粋にどれだけ本気で彼を好きだったかのかを思い出して、当時の無垢な自分をいとおしく思った。
なんだかずっと捨てられなくてそっとしまっていたんだけれど、今日のシュレッダー祭でさっぱりと捨てられた。
シュレッダーって、便利。
最初はちょっとせつなかったのに、どんどん裁断していくにつれて機械的に事務的になっていく。
どんどん、どんどん当時のあたしの言葉や想いが、細かく細かくなっていく。
人生には時には、こういう事務的な作業が必要なんだと思う。
感傷的に燃やしたり、海に流したりするのと実は同レベルで、シュレッダーっていうのは思い出を美しく昇華させるのにいいものなんだと知った土曜。